春の思い

『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』

 

古今集の和歌を引用しました。

今の言葉で言えば、「もし世の中にまったく桜がなかったなら、桜の花が咲くのを待ち望んだり、散っていくことを悲しんだりすることもなく、春のひとの心はもっとのどかだっただろうに……」という意味になるそうです。

毎年、この季節、青い空を背景に桜の花を見上げたり、春の風に散る桜の花びらを目を眇めて見たりするたびに、繰り返しこの歌が浮かんでくるのです。もちろん(?)、私は古文や古典が好きだったわけではなく、今も俳句や短歌を趣味にしているわけでもありません。だからこの歌も、春になるたびに自分の中に浮かんでは消え、そんなことを繰り返しているうちに条件反射のように自分の中に刷り込まれてしまったようです。桜の花を見るたびに美しいと思いながら、もの悲しく、ああ、もうすぐ終わってしまう…と寂しくつらくなります。

こんなことは、みなさんにはありませんか?

そんな私が、今年は一つ、わがままを実現してみました。

コロナや戦争のニュースが胸を掠めましたが、この際それにはキュっと蓋をして、死ぬまでに一度だけでも行ってみたいと常々思っていたので。

桜の花を見るためだけに、東京と奈良を往復しました。

“吉野の桜”を見ようと東京から出かけると、これが思った以上に遠い…!というのがまず実感でした。奈良から単線とバスを乗り継ぎ、着いた山里は思った以上の観光地でしたが、中千本から山間を望むと長年の望みを叶えた嬉しさがじんわりと心を満たしてくれました。まだ少しだけ時期が早くて、山一面の桜の花…とはいきませんでしたが、高度や種類の関係か、なんでも吉野の桜は2か月間も見ごろが続くとのことでした。

帰りには京都に立ち寄り、“醍醐寺の桜”にも足を延ばしました。こちらは春爛漫に違いなく、樹齢〇〇〇年という桜がたくさんあって、吉野とはまた別の感慨をいだきました。

桜前線と一緒に北上するという趣味の方もいらっしゃるようですが、今度は北もいいかな…?と、毎日ベッドに入りながら夢見ているのは自分が日本人だからでしょうか。

みなさんにも少しだけ、桜の美しさをお伝えしたいと思い、写真を添付させていただきますね。

東京都ナースプラザ所長 佐藤浩子