西新宿四丁目とヨドバシ

さて、当看護協会の現在の所在地、西新宿四丁目の「水」との関係についてお話第3弾です。この地はかつて角筈村であったことは既にお話しました。その後、明治23年柏木村と合併し「淀橋町」という地名となりました。

昭和になり東京府豊多摩郡から東京市へ編入され、さらに昭和15年東京市が35区となった際には「淀橋区」となりました。今ではこの地名を使用しているのは東京都の市場と小学校など数少なくなりましたが、何といっても大手カメラチェーン店が全国展開をしており、今でも「淀橋」の名を全国に広めています。

さて、徳川幕府瓦解後の水事情ですが、これまでの開渠と木造の水道システムにおいては経年劣化や生活汚水などで水質悪化が著しく、また、コレラなどの感染症も何度か流行しました。こうした状況から明治31年、東京全域に衛生的な水を供給する近代的水道施設としてこの地に淀橋浄水場が造られました。つくづく水に関係する地域ですよね。その広さはろ過池や沈殿池などの施設34万平方メートル、10万坪の広大な敷地だったそうです。その後昭和40年に廃止されるまでの約70年の間、都民の命と生活を支えてきました。

今、新宿中央公園のほぼ真ん中の築山の上にギリシャ神殿風の東屋のような六角堂という展望台があります。これは今に残る淀橋浄水場の数少ない遺構で、明治時代からの浄水場工事で出た残土を積み上げて造られたといわれといます。そこからは浄水場が一望でき、当時は見学者用の説明場所として、また職員の憩いの場として親しまれたそうです。

今では巨大な都庁舎や超高層ビル群が一望できます。

事務局長 黒川 亨