西新宿四丁目は嘗てリゾートでした

 看護協会が昨年移転したこの西新宿四丁目の地は嘗て、角筈(つのはず)村十二社、通称「じゅうにそう」と呼ばれ、江戸時代、水のリゾートとして大いににぎわった「チョー」有名な江戸っ子の憩いの場でありました。

 今では全く想像もできませんよね。現在わずかに都バスの停留所に名を残すのみとなりましたが、戦前までは花街としても大いに格式が高かったそうです。

 その「じゅうにそう」の謂れとなったのが新宿中央公園の一角にある新宿十二社熊野神社です。室町時代に紀州熊野から勧進されました。熊野十二社は熊野権現に祭られる十二神を勧請したので「十二相」と呼ばれました。江戸時代、歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」の一枚に「角筈熊野十二社俗称十二そう」があります。避暑地として涼を求め大勢の江戸市民が境内の大池を訪れ、100件以上の料亭や置屋が軒を連ね300人以上の芸妓でにぎわったそうです。また、熊野神社の氏子町の範囲は西新宿の高層ビル街は勿論、歌舞伎町全域、新宿駅周辺東口や南口も含み、今でも大新宿の総鎮守なのです。9月の祭礼では大勢の法被姿の担ぎ手たちのお神輿が歌舞伎町界隈を練り歩き、夜の歌舞伎町とは似ても似つかぬ情景が展開され、びっくりしてしまいます。

 明治31年、風光明媚な水のリゾートとしてのこの地は東京市により淀橋浄水場となりました。これにより十二社東にあった滝の多くも消えたそうですが、現在、中央公園内には「ナイアガラの滝」として復活しています。

 熊野神社は現在も中央公園内に新宿の守り神として鎮座し、我々を見守っています。なお、境内の池は昭和にはいったころまでは残っていたそうです。

事務局長 黒川 亨

角筈熊野十二社俗称十二そう(歌川 広重)